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日伊国交樹立150周年特別展 アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」

会期:2016年7月13日㈬~10月10日(月・祝)10:00~18:00 金曜日、8月6日㈯、13日㈯、20日㈯は20:00まで(入場は閉館の30分前まで) 

                            *休館日:火曜日(ただし、8月16日㈫は開館)

場所:国立新美術館 企画展示室2E(東京・六本木)

巡回:大阪:2016年10月22日㈯~2017年1月15日㈰ 国立国際美術館

ルネサンスといえばイタリアのフィレンツェを思い浮かべる人も多いと思います。「再生、復興」を意味するルネサンスは、15世紀初頭からイタリアに興った芸術運動で、最初にフィレンツェで始まりました。そして16世紀初頭にはローマで花開きました。

ヴェネツィアのルネサンスは、フィレンツェより少し遅れて始まります。芸術を保護したメディチ家のロレンツォ豪華王が1492年に没し、政治的に混乱したフィレンツェに代わって、ヴェネツィアが台頭し、16世紀前半にはヴェネツィア派が黄金時代を築きます。デッサンのフィレンツエ、色彩のヴェネツィアと比較され、どちらもルネサンス美術と呼ばれますが、その絵画表現は同じではないのです。

15~16世紀のヴェネツィアは、繁栄の絶頂にありました。フィレンツェに比較してローマから遠いため宗教的な規則に縛られにくく、古典・古代の理想主義を強く求めるよりも、自由に時代や世俗を映し出すことが出来ました。また、内陸にあったフィレンツェは木が多く乾燥しているので板絵やフレスコ画が中心でしたが、森林が少なく湿気の多い海洋都市のヴェネツィアでは、帆を転用したカンヴァスに油彩画を描くことが発達しました。

描き直しが出来ないフレスコ画を描くには卓越したデッサン力が必要です。フィレンツェの芸術家たちは、古代彫刻や人体をデッサンすることで腕を磨きました。一方、画面上で色を混ぜたりふき取ったりできる油彩画は、大胆な構図や筆使いが可能です。また、薄く伸ばせば深く柔らかな陰影による立体感が、こってりと厚塗りにすれば迫力のある筆使いでドラマティックな表現ができます。

ヴェネツィア派絵画の基礎を築いた一族にベッリーニ一族がいます。ヤコポ・ベッリーニは、名もなきブリキ職人の息子で、1400年頃にヴェネツィアに生まれました。1425年にはフィレンツェのジャンティーレ・ダ・ファブリアーノの工房に入り弟子として修業、その後ローマで古典古代の遺跡を熱心に研究しました。ヴェネツィアに帰った後、市の重要な画家となりましたが、その作品はほとんど残っていません。1470年頃に亡くなりました。

第1章 ルネサンスの黎明ー15世紀の画家たち

ヤコポには二人の息子と娘がいました。娘は、ヴェネツィア・ルネサンスの最初の大画家アンドレーア・マンテーニャと結婚します。長男のジャンティーレは父ヤコポが亡くなる数年前に一族の工房の後継者となりましたが、アカデミア美術館所蔵の≪サン・マルコ広場の聖十字架の行列≫(1497年)の他に彼の作品もまた、ほとんど見ることが出来ません。

次男のジョヴァンニ・ベッリーニは、ヴェネツィアにおけるルネサンス様式の絵画を開花させた人物です。数多くの祭壇画や肖像画を描き、その多くは火災などで失われてはいますが、たくさんの作品が現存し観ることが出来ます。本展覧会のチラシに採用された≪聖母子≫(赤い智天使の聖母)は、ビザンティン美術の固さが残るものの、優しい視線を交わしあう母子の姿に人間の温かみを感じます。背景に広がる風景の表現に、ベッリーニが自然描写に関心を寄せていたことがわかります。

ジョヴァンニは優しく親しみやすい人物で、多くの弟子がいました。その中の一人にジョルジョーネがいます。そして、ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠ティツィアーノは、最初ベッリーニ兄弟の弟子となり、後にジョルジョーネの助手をつとめました。ヴェネツィア派の初期ルネサンスから盛期ルネサンスへの流れは、この3人の関係で語ることが出来ます。

第2章 黄金時代の幕開けーティツィアーノとその周辺

16世紀の初頭、二人の若い画家によってヴェネツィア絵画に革命がもたらされます。ジョルジョーネとティツィアーノです。ティツィアーノ・ヴェチェッリオは、1488年頃アルプス山麓の小村に生まれました。16世紀の半ばには、ヴェネツィアの指導的画家の地位を確立していました。

彼の晩年を代表する作品の一つが、サン・サルヴァドール聖堂の右側廊の祭壇を飾る大作≪受胎告知≫です。受胎を告げる大天使ガブリエルが大きく描かれ、マリアは身を引きつつもベールをたくし上げてお告げに耳を傾けています。天は開け、まばゆい光と共に聖霊である鳩が舞い降りています。特別出展の本作は、横2m40㎝、高さ4m以上の大作。この展覧会の最大の見どころです。

ティツィアーノ・ヴェッチェッリオ≪受胎告知≫ 油彩/カンヴァス サン・サルヴァドール聖堂

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ティツィアーノに続きヴェネツィアで活躍したのは、劇的な明暗表現のヤコポ・ティントレットと、華麗な色彩と古典的な様式で貴族たちから高く評価されたパオロ・ヴェロネーゼです。

第3章 三人の巨匠たちーティントレット、ヴェロネーゼ、バッサーノ

ティントレットはティントーレ(染物師)の息子で、本名はヤコポ・ロブスティ。ティツィアーノの弟子でしたが、ティントレットの才能に嫉妬したティツィアーノが彼を工房から追放したとも伝えられています。彼はティツィアーノより30年後の1518年にヴェネツィアで生まれました。豊かな官能性あふれる人間性を描いたティツィアーノと、幻想的でドラマティックな手法で宗教的主題を描いたティントレット。どちらも当時のヴェネツィアで好まれた画風です。

ティントレットは、ヴェネツイアにマニエリスムの要素をもたらした画家と言われています。マニエリスムとは、世紀ルネサンスの巨匠の手法を進化させようと、身体を引き延ばしたり誇張したポーズで描いたりする絵画です。ティントレットは円熟を増すにつれて、複雑なポーズをとる人物を自在に組み合わせた劇的な構図や、光と影の強烈な対比による表現を強めていきました。≪聖母被昇天≫では聖母マリアは身体をひねり、聖母を見上げる人々も体をのばしたりよじったりしながらひしめき合い、今にも動き出しそうな躍動感があふれています。

ヤコポ・ティントレット(本名ヤコポ・ロブスティ)≪聖母被昇天≫ 油彩/カンヴァス 240×136  アカデミア美術館

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16世紀半ばに画壇デヴューしたティントレットに少し遅れて活躍したのが、ヴェローナから移住してきたのが本名パオロ・カリアーリ通称ヴェロネーゼです。ヴェロネーゼはルガーノからヴェローナに移っていた石切り工の息子として1528年に生まれました。あまり有名ではない画家であった叔父に弟子入りし修行したのち、1555年の48歳の時ヴェネツィアに定住しました

ティツィアーノの次の世代、16世紀ヴェネツィア絵画の黄金時代を築いたのは、宗教心の厚く家庭を大切にしたティントレットと明るく軽やかな色彩を特徴としたヴェロネーゼの二人でした。第3章ではヴェロネーゼとその工房の作品もご覧いただけます。

4章 ルネサンスの終焉ー巨匠たちの後継者

1580年代の終わりから90年代の前半にかけて、ヴェネツィアにおける3人の巨匠が相次いで他界しました。晩年のティツィアーノやティントレットから影響を受けたパルマ・イル・ジョーヴァネや、ティントレットの息子のドメニコ・ティントレットらが、ヴェネツィア・ルネサンスの最後を飾りました。

フィレンツェで始まったルネサンス芸術は16世紀初頭でローマにおいて頂点を迎えますが、1519年レオナルド・ダ・ヴィンチが、1520年にラファエロが亡くなり、1527年のローマ劫略によってルネサンスの古典主義美術は終わります。その後マニエリスムの手法が登場し、そしてそれが劇的な表現のバロック芸術へと移行するのですが、その過渡期を代表する画家であるパドヴァーニの作品も展示されます。

ヴェネツィアの3巨匠やその周辺の画家たちの作品を鑑賞することで、フィレンツェやローマだけでないルネサンスを知ると同時に、カラヴァッジョが創始したとされるバロックへの予感を楽しんでください。

 


聖なるもの、俗なるもの メッケネムとドイツ初期銅版画」

会期:2016年7月9日㈯~9月19日(月・祝) 9:30~17:30 *金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで) 

                              休館日:月曜日(ただし、7月18日、8月15日、9月19日は開館)、7月19日㈫

場所:国立西洋美術館(東京・上野公園)

イスラエル・ファン・メッケネム(c.1445-1503)は、15世紀後半から16世紀初頭のドイツで活躍した銅版画家で、デューラーらと並ぶ版画の創始者と考えられています。本展は、日本ではほとんどその名前を知られていないメッケネムを,日本で初めて本格的に紹介する展覧会です。

メッケネムは模索者としても活躍し、生涯に膨大な数の模作を制作しました。写真が無かった当時、オリジナルの作品を写し残すことは大変重要なことで、優れた模作はとても高く評価されました。銅板画はマスメディアの手段として、たいへん重要なものだったのです。彼の作品は、ヨーロッパ中に普及しました。

メッケネムが制作した版画の大半は、キリスト教を主題としたものです。メッケネムは、この世で犯した罪が許される贖宥の為の銅版画を手掛けた初めての人でした。2万年分の免罪が約束されるとされた版画も展示されます。

版画は油彩に比較して、安価で手軽に制作できました。そのため描かれたテーマは自由で、特に男女の駆け引きに対する風刺は人気がありました。メッケネムの作品も、同時の風俗や人々の日常がユーモアタップリに表現されています。

家庭内の主導権を握りたい妻が、髪を振り乱して夫に糸巻棒で殴りかかる姿や、不倫の関係を想像させるカップルのデートも描かれています。

イスラエル・ファン・メッケネム ≪ズボンをめぐる戦い≫ 、連作<日常生活の諸場面>より エングレーヴィング 

 ミュンヘン州立版画素描館 Staatliche Graphische Sammlung München

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版画の楽しみのひとつは、その細密な描写です。メッケネムの作品に多くみられるエングレーヴィングとは、凹版の中で最も古い技法です。銅などの金属板をよく磨き、そこにビュランという特殊な道具で線を刻み、その刻み目にインクを詰めて紙に転写します。

ビュランの刃の断面は菱形あるいは正方形で金属板にV字の溝ができるので、線はシャープになります。1本の線を彫り始めるとき、ゆっくりとビュランを押し出し、彫り終わりは徐々に溝を浅くするので、線の端は鋭くとがっている場合が多いのです。均一な線や曲線を刻むにはかなりの熟練した技術が必要とされ、1枚の版を彫りあげるには大変な時間がかかったそうです。

この技法は1430年代頃にライン川上流域(現在のスイス西部、ドイツ南部、フランスのアルザス地方にまたがる地域)で成立したと考えられています。初期は、金工職人が金属に施した装飾を記録するために紙を押し付けて転写したことから始まったそうです。

初期の版画家の多くは、金工職人としての修業を積んでいました。金工細工は高貴な人々のために制作されたので、エングレーヴィングは木版画に比較して、高価な収集品として扱われました。現在、大量生産されたにもかかわらず木版画の現存数がエングレーヴィングに比べで少ないのは、そんな理由があるのかもしれません。

1470年代になると、本展でも展示されるマルティン・ショーンガウアーが版画を大きく発展させます。彼は版画の線によって微妙な質感を描き分けたのです。また、画面に奥行など空間表現を可能にし、その中の登場人物などの関係性を描きました。

その後、ライン川上流域から下流域(現在のオランダ、ドイツ西部)でエングレーヴィングは始まり、メッケネムの活躍が始まります。メッケネムの作品≪エッケ・ホモ≫では、手前には群衆のグループ、中間にキリストとローマ総督ピラトのグループ、そして奥には、この場面より前に起こった事件なのですが、妻から彼女が見た夢のはなしを聞くピラトの姿が描かれ、私たちの視線は手前から奥の空間へと誘導されます。

イスラエル・ファン・メッケネム ≪エッケ・ホモ≫ 、連作<受難殿>より エングレーヴィング

 ミュンヘン州立版画素描館 (外部寄託)Aschaffenburg.Schioss.Aschaffenburger Bestand derStaatliche Graphische Sammlung München

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一見すると地味で暗い印象のする版画ですが、その均一な細線で描かれているのは、生身の人間世界や体温のある動物たち、そしてそれらが語る物語です。色や筆触が無く均一に描かれているので、一見地味で退屈に思えるかもしれませんが、すみずみまで引かれた繊細な線による冷静な積み重ねが生む世界に見入れば、初めて見た時には気付かなかったいろいろなモノやコトが発見できるでしょう。

 


「ポンピドゥーセンター傑作」展 ―ピカソ/マチス/デュシャンからクリストまでー

会期:2016年6月11日㈯~9月22日㈭(祝日) 9:30~17:30 *金曜日は20:00まで

場所:東京都美術館 企画展示室

ポンピドゥー・センターは、1977年にパリの中心部に開館しました。正式名ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術センターで、国立近代美術館・産業創造センター・公共情報図書室・音響音楽研究所などで構成されたフランス国立の総合文化施設です。

透明なチューブ状のエスカレーターが目を引く、まるで工場のような外観の建物は、レンゾ・ピアノ(1937-)とリチャード・ロジャース(1933-)によって設計されました。当時はその先進的なデザインで議論を巻き起こしましたが、現在は年間500万人が訪れるパリの重要な文化拠点。またパリの人たちや観光客などが集う憩いの広場のシンボルとしても、愛されています。

ポンピドゥー・センターの中核である国立近代美術館は、20世紀初めから現在までの作品を約11万点所蔵する世界有数の美術館です。本展では、シャガールピカソマティスデュシャンなど、ポンピドゥー・センターが誇る巨匠たちの傑作約70点が展示されます。

この展覧会は、フランス20世紀に焦点をあて、1906年から1977年までの美術の流れを、1年1作品によってたどる展覧会です。それぞれの1年を代表する画家たちの作品を通して、当時のフランス社会や人々の暮らしを想像しながら鑑賞するのも楽しいでしょう。

まず1906年を代表するは、ラウル・デュフィ≪旗で飾られた通り≫です。この年の夏、デュフィは故郷ノルマンディー地方のル・アーブルに住まいを移します。この作品は、その故郷ル・アーブルの7月14日、フランス革命記念日のドラピエ通りを描いています。

デュフィ―(1877-1953)は1900年にパリに出たとき、この故郷ル・アーブル市からの月額100フランの奨学金で暮らしました。生活に十分な額ではなかったようですが、彼は貧しいながらも身支度を整え、常に堂々としていて、とにかく明るい人物だったそうです。1905年のサロン・ドートンヌでデュフィは、マティスの≪豪奢・静謐・逸楽≫に出合います。彼は、「色彩とは単純に物の色を表すのではなく、自分の感受性を表現する手段だ」と気づくのです。

少し高い視線から描かれたこの作品は、革命記念日の高揚した雰囲気よりも、国旗や建物の色の面を幾何学的に構成し配列した、静かで整然とした秩序ある画面を作り上げています。ル・アーブルを写実的に描いた風景画ではなく、色の面の力、意味、そしてバランスの美しさを持つ、デュフィの内なる目が再構成した「ル・アーブル」です。

ラウル・デュフイ ≪旗で飾られた通り≫ 1906年 

©Georges Meguerditchian - Centre Pompidou, MNAM-CCI

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デュフィのように色彩に魅了された画家にボナール(1867-1947)がいます。光を生み出すような色彩の秩序を追求したのがデュフィだとすれば、ボナールは、色彩の輝きを探し求めた画家でした。かれは「絵画とは無数の色点の集合」と考えていました。

色点を並列させて、移ろう光を追い求めた印象派の画家との違いは、たとえばモネが、実物を見ながら野外で制作することにこだわる一方、ボナールはアトリエの中で記憶を呼び起こしながら描きました。彼は、目の前にある事実を写すことや偶然の効果に頼ることよりも、情景の本質を描くことを大切だと考えました。絵画の出発点は理念であって、それを忘れないために現実の映像から距離を置いた所で描いていたのです。

1920年代に、ボナールは「水」と言うテーマに魅了され始めます。この時期、妻マルトが入浴する姿やバスタブのそばにいる姿が数多く描かれています。マルトはボナールの生涯を通じて芸術の源泉となりました。病弱な彼女の静養のため、南仏の地を転々としているうちに、ボナールは色彩に開眼しました。本作品は、朝の柔らかい光のなかで色彩のコントラストが装飾的な美しさで描かれています。

身近で日常的な題材を好んで取り上げたボナールは、親密派の画家と呼ばれました。若いころゴーガンを指導者と仰ぐナビ派の運動に一時的に加わったものの、フォーヴィスム、キュビスム、シュルレアリスム、抽象絵画と目まぐるしく変化する20世紀美術の中で、いずれにも参加せず彼独自の世界を守り続けました。

しかしそんな中、彼に大きな影響を与えたのは日本の浮世絵です。ナビ派の時代「日本的ナビ」と呼ばれるほど浮世絵に熱中したボナールは構図などを自らの作品に応用しています。遠近法や立体の表現、題材や画面の構成など、西洋的なものを排除した浮世絵的な表現を、本作品の中に探すのも楽しい鑑賞でしょう。

ピエール・ボナール ≪浴槽の裸婦≫ 1931年

© Adam Rzepka – Centre Pompidou, MNAM-CCI

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アンリ・マティス(1869-1954)も「東方」にインスピレーションを得た画家です。東方とは西洋人にとって、日本・インド・ペルシャ・アラビアを含めた世界で、異国情緒に満ちた豪華な夢と穏やかな安息の地というイメージで受け止められていました。そしてマティスは、自分自身の絵画の中に、東方世界の慰めと休息を込めようとしました。

1910年、マティスはドイツのミュンヘンでイスラム美術を観て深い感銘をうけます。また1911年~1912年にかけて二度モロッコ旅行に出かけました。この頃のマティスは、それまで彼が中心となって推し進めてきたフォーヴィスムが解体期に入りはじめ、新たな絵画の方向性を求めてました。

そして彼は、平面的で装飾的な絵画に到達します。遠近感や明暗、立体表現などを捨て、絵画を単純な色彩の饗宴だけに還元しました。東方の織物やペルシャのミニアチュアのような、奥行きを否定した画面と埋め尽くされる装飾に出会ったことが、彼の新しい絵画に革新を与えたのです。

マティスの平面的で装飾的な表現において、その主題の中で室内は重要なテーマでした。1948年制作の本作は、マティスが室内を描いた最後の1点です。真っ赤に塗りつぶされた部屋は、天井や床、壁の存在が明らかではありません。壁の絵画、床に置かれたテーブル、動物の毛皮はそれぞれ二つずつ描かれていますが、それらの位置関係は定まってはいません。

けれどもこの作品の前に立てば、私たちはマティスの感性で選ばれた色と、単純化された形態のモチーフの世界に包まれます。マティスが望んだように彼の作品は、私たちに不安も悩みもない平穏な幸せの時を提供してくれるでしょう。

アンリ・マティス ≪大きな赤い室内≫ 1948年

Bertrand Prévost - Centre Pompidou, MNAM-CCI

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特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅」展 

会期:2016年6月21日㈫~9月19日㈪(祝日) 9:30~17:00

場所:東京国立博物館 平成館

古代ギリシャの文明は、神話と共に西洋美術の礎になっています。西洋美術を理解し鑑賞を深めるために、古代ギリシャの知識は大変役に立ちます。今回、紀元前7000年の古代ギリシャ世界の始まりから、紀元前31年をはじめとするローマ時代までのギリシャ芸術を、時代の流れに沿って時空を超えた旅のように鑑賞することが出来る展覧会が開催されます。

ひとことで古代ギリシャ文明といっても、時代や地域により様々に異なる文化が花開いてきました。本展では、ギリシャ本土の新石器時代から青銅器時代、クレタ島のミノス文明、再びギリシャのミュケナイ文明へ。そして長い暗黒の時代を経て幾何学様式とアルカイック時代、後の西洋美術に大きな影響を与えたクラシック時代からヘレニズムとローマ時代へと、目も眩むような長く多様な芸術の旅を体験できる展覧会です。

■古代ギリシャ世界の始まり(前7000年紀~前2000年頃)

BC6000年頃、小アジアの先住民によって、ギリシャに新石器時代の技術がもたらされました。BC2600年頃には、地中海東部のシリアやエジプトあたりの沿岸地域と交流し、青銅器文化を吸収し始めます。ギリシャは青銅の原料となるスズや銅が乏しかったのですが、それでも農具や武具の製造技術は大変向上しました。この青銅器時代初期のギリシャには、いわゆる「ギリシャ的」な文明はまだ見られませんでした。

初期青銅器時代にエーゲ海の真ん中のキュクラデス諸島で花開いたキュクラデス文明はこの時代を代表する文明です。展覧会ではキュクラデス特有の大理石小像で、目を閉じ腕を組むポーズの愛らしい≪スペドス型女性像≫を観ることが出来ます。

≪スペドス型女性像≫ 初期キュクラデスⅡ期、シュロス期(前2800~前2300年) キュクラデス博物館蔵

©Nicholas and Dolly Goulandris Foundation- Museum of Cycladic Art, Athens, Greece

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■ミノス文明(前3000年頃~前1100年頃)

BC2000年頃になって、インド・ヨーロッパ語に属するアーリア人がギリシャの土地に侵入して、各地で戦争を起こしました。青銅器時代の宮殿や墓が破壊され、副葬品は略奪されます。その侵略をまぬかれたのが、ギリシャ本土南方の地中海に浮かぶクレタ島です。クレタ島では、BC2000年ころまでに美しい宮殿がいくつも建設され、島の中央部の都市クノッソスに住む代々ミノスと名乗る王により支配されていました。

クレタ島ではおそらく2回、大地震と火山噴火がありました。BC1700年頃に起こったテラ島の火山噴火の時、灰に埋もれ、結果的に保存されたフレスコ画≪漁夫のフレスコ画≫も展示されます。この魚を両手に持つ美しい若者の姿は、チラシにも使われています。

■ミュケナイ文明(前1600年頃~前1100年頃)

紀元前1450年頃に、ギリシャはクレタ島を征服、ギリシャの人々は、進んだクレタの文明を取り入れつつ、独自のミュケナイ文明を開花させます。美術はミノス文明の影響を受けていますが、都市は堅牢な城壁に囲まれていました。このことはギリシャ神話の原典のひとつホメロスの『イリアス』にもうたわれています。

■幾何学様式~アルカイック時代(前900年頃~前480年)

ミュケナイ文明は、BC1200年頃、突如として崩壊します。ギリシャ本土やクレタ島の城壁が次々と消え、城壁や王宮は廃墟と化しました。その理由は今も歴史家の中で論争が続いています。ミュケナイ文明崩壊後、貧困と混乱の「暗黒時代」を経て、アテネ、スパルタ、テーバイなどの小国が形成されます。BC800年にはポリス(都市国家)が誕生します。アテネでは最初の民主政治の基礎が築かれました。

この時代は幾何学文様が発達し、その後オリエント由来の動物や植物のモチーフに変化していきます。また、ギリシャ文字がつくられ、それまでの口誦文学が文字化され叙事詩となり、文学が誕生します。農民詩人ヘシオドスは、たくさんの神話を系統だてて整理し『神統記』などを著しました。民主政治が台頭したアルカイック時代には、魅惑的なアルカイック・スマイルの等身大の大理石像が登場します。微笑ながら片足を前に出し、一歩踏み出そうとする男性像が展示されますが、このポーズはエジプト文化の影響を受けています。同時に展示される女性像と比較してみましょう。

■クラシック時代(前480年~前323年)

紀元前508年にアテネに民主政治が確立し、紀元前480年頃にギリシャ連合軍がペルシャを撃退した後、クラシック時代が始まります。アテネのアクロポリスにはパルテノン神殿が建設され、演劇や哲学が盛んになります。当時制作された人間の理想的身体を表現した彫刻や美術は、後の西洋美術に大きな影響を与えました。神話に登場する、アポロン、アルテミス、レトの浮彫やディオニソスとアリアドネ、ポセイドンとアミュモネの二つの神話が描かれている器などが展示されます。

■ヘレニズムとローマ(前323年~)

また、ヘレニズム時代(紀元前323年~前31年)にギリシャ美術は拡大し、とてもリアルな肖像彫刻や官能的な女性像が登場します。≪アルテミス像≫はヘレニズム後期の特徴である優美な表現の女神像です。彼女は、オリュンポス12神の一人で、狩猟と弓術を司り、同時に野生の動物、子供たち、弱き者を守護する神です。けれども、彼女の沐浴する姿を偶然見てしまった人間の男性アクタイオンを鹿に変身させ、猟犬の餌食にするという激しい一面もある女神です。展示作品には勇ましさが表現されてなく、ヘレニズム的な優美な像となっています。


紀元前31年に、エジプトの女王クレオパトラがローマに敗れ、地中海はローマの内海となります。ローマ人たちは、ギリシャの美術や文化に魅了され、自らの文化と同一視しながら継承していきました。

≪アルテミス像≫ 前100年頃 アテネ国立考古学博物館蔵 

©The Hellenic Ministry of Culture and Sports- Archaeological Receipts Fund

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このほか、ギリシャの北方で、黄金を豊富に産出したマケドニア王国の、新石器時代からヘレニズム時代に至るまでのまばゆいばかりの冠や宝飾品が展示されます。

2020年に東京で開催されるオリンピックに盛り上がる日本ですが、今年2016年は1896年に最初の近代オリンピックがギリシャで開催されてから120年にあたります。紀元前8世紀、オリンピアのゼウス神域で4年に一度開催された競技祭が始まり、全ギリシャから選手が集まる大競技祭になりました。本展では、競技種目を陶器画などで紹介し、競技像や道具も展示されます。

赤像式パナテナイア小型アンフォラ ボクシング 前500年頃 アテネ国立考古学博物館蔵

©The Hellenic Ministry of Culture and Sports- Archaeological Receipts Fund

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古代ギリシャは、神話の舞台です。ミノス島は、王妃と牡牛との間に生まれた牛頭人身のミノタウロスが迷宮ラビュリントスに閉じ込められていた島。怪物を退治したテセウスとミノス王の娘アリアドネとのロマンスの舞台でもあります。ミュケナイは、アトレウスやその子アガメムノンの一族が、暴力や淫蕩などの行為を行った土地です。ギリシャの貴重な副葬品、フレスコ画、彫刻などを鑑賞し、神話の世界を旅してください。

 


会期:2016年4月20日㈬~5月8日㈰ 11:00~20:00 終了しました。

場所:渋谷ヒカリエ 8F「8/CUBE1,2,3」

ユリカナとは二人のクリエーターの名前、百合 佐和子(ゆり・さわこ)と金澤 正人(かなざわ・まさと)のユリとカナを繋げた言葉。資生堂の化粧品「マジョリカ マジョルカ」の独自の世界観を創りだした二人の展覧会は、2013年に引き続き二回目の開催となります。

百合 佐和子は、資生堂ビューティークリエーションセンターに所属するヘア&メーキャップアーティスト。宣伝広告・CM、またパリ、ニューヨーク、東京コレクションのヘアー&メーキャップを手掛け、商品開発にも携わってきました。資生堂の運営するヘア&メーキャップスクールSABFAの講師でもあります。

金澤 正人は資生堂宣伝・デザイン部に所属するフォトグラファー。女優やタレントといった人物から商品写真まで、資生堂の広告写真を多数手掛けてきました。2011年に、初の個展「darkness and brightness」を銀座キャノンギャラリーなどで開催しました。

今回「マジョルカ マジョリカ」の美を創造した二人は、宣伝広告から離れアーティスト活動としての作品を制作しました。それは、新しい美の指針ともいえる独自の KAWAII(カワイイ世界を表現した写真作品です。かつて日本の若い女性が、オジサンにも洋服にも、素敵に見えたものに対して「カワイイ」を連呼してから、「カワイイ」は日本独自の表現として世界に広がり、現在「カワイイ」は時代を映しながら、多様化し進化しています。

人気モデルゆら、琉花、小松菜奈、玉城ティナを起用した、「ユリカナ」の「カワイイ」世界は、あどけなく妖艶、ストレートで意味深、陽気で陰気な、相反するキーワードを内包しながら、新しい時代の女性像を見せています。普段、広告宣伝の仕事をしている二人ならではの視点、社会背景を見据えつつ誕生させたファイン・アートの世界をご覧ください。

連休にはイベントが開催され、アーティストトークも予定されています。

イラストレーター宇野亞喜良、長谷川洋子とコラボレーションした作品も展示。

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デトロイト美術館展~大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち

豊田展 会期2016年4月27日㈬~6月26日㈰ 豊田市美術館

大阪展 会期2016年7月9日㈯~9月25日㈰ 大阪市立美術館

東京展 会期2016年10月7日㈮~2017年1月21日㈯ 上野の森美術館

デトロイトと言えば車産業で盛んな都市。もともと、馬車や自転車製造が盛んだったそうですが、1899年に自動車産業が始まり、フォード、クライスラー、ゼネラルモータースとともに都市も発展、モーターシティと呼ばれるようになりました。けれども2011年から税収が激減、デトロイト市は2013年7月に財政破綻してしまいました。

デトロイト美術館は、1885年に開館した美術館です。新聞界や自動車業界の有力者たちからの資金援助を通じて、世界の優れた美術品を収集、1922年にはアメリカ国内の公共美術館として初めてゴッホマティスをコレクションしました。しかしその後のデトロイト市財政危機により、収蔵品の売却や美術館自体の存続まで懸念される事態となってしまったのです。

けれども自動車関連の企業を中心とした国内外の資金援助やデトロイト市民の声により、コレクションは1点たりとも失われることなく、古代エジプトから現代美術まで6万5千点のコレクションを所蔵し、現在年間60万人が訪れる全米を代表する美術館として、人々の憩いや学びの場を提供しています。

本展覧会は、デトロイト美術館の幅広いコレクションの中から、日本でも人気の高い印象派を含むヨーロッパの近代絵画の名品52点を展示しています。その中には、日本初公開の作品が15点もあります。展覧会は4つの章で構成され、印象派からポスト印象派へ、そして20世紀美術へと時間の流れにそって鑑賞することが出来ます。


第1章>は印象派を代表する、モネ、ドガ、ルノワールの作品が紹介されます。それまでのアカデミックな絵画とは異なる「戸外での制作」や「同時代の風俗」を主題にした、生き生きとした「筆触」と「明るい配色」で「移ろう光」や「瞬間の動き」を描いた印象派の作品を楽しみましょう。

クロード・モネ ≪グラジオラス≫ 1876年 City of Detroit Purchase


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第2章>は、ポスト印象派の絵画です。「無名芸術家協会展」として始まった印象派の展覧会は、1886年の第8回で終了してしまいました。その後フランスを中心に、印象派を引き継ぎつつも新しい方向を模索、制作する画家たちが活躍します。この章では、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌたち、ポスト印象派を代表する画家たちの傑作が展示されます。日本初公開のゴッホ≪オワーズ川の岸辺、オーヴェールにて≫やアメリカの公共美術館にはいった最初のゴッホ作品≪自画像≫も必見です。

本展の大きな見どころの一つは、20世紀ドイツ絵画でしょう。<第3章>は、20世紀のドイツ絵画です。ミュンヘンで活躍したカンディンスキーの初期の抽象画や、ドイツ表現主義を代表するキルヒナー、ウィーン世紀末のココシュカなど、日本で触れる機会が少ない作品をじっくり鑑賞しましょう。

フィンセント・ファン・ゴッホ ≪自画像≫ 1887年 City of Detroit Purchase

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エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー ≪月下の冬景色≫ 1919

Gift of Curt Valentin in memory of the artist on the occasion of Dr. William R. Valentiner's 60th birthday

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<第4章>は20世紀フランス絵画、マティス、モディリアーニ、ピカソの作品です。20世紀美術は、画家たちの個性がより際立つ時代です。個性的な色使いや人物表現など、彼らの新しい絵画表現を興味深く観ると同時に、改めて印象派から始まる絵画の近代化の流れや変化を考えてみましょう。

この展覧会は、デトロイト市とともに「クルマのまち」として1960年に姉妹都市として提携を結んだ豊田市から始まります。その後、大阪展、東京展と巡回します。また、デトロイト美術館の多くのギャラリーでは写真撮影が許可されていて、今回の展覧会も期間・曜日・時間帯の制限はあるものの、写真撮影が許可されます。各館により異なりますので、事前に問い合わせてください。

アメデオ・モディリアーニ ≪女の肖像≫ 1917 -1920 City of Detroit Purchase

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西洋更紗 トワル・ド・ジュイ展

期間:2016年6月14日㈫~2016年7月31日㈰

 場所:Bunkamura サ・ミュージアム 渋谷・東急本店横

トワル(toil)とは、フランス語で布地のこと、ジュイはフランスのヴェルサイユ近郊にあるジュイ=アン=ジョザスという村の名前です。この展覧会は、日本で初めて本格的にトワル・ド・ジュイの世界を紹介し、ロココの時代の人々を夢中にさせたトワル・ド・ジュイの美しさを伝えます。ドイツ人クリストフ・オーベルカンプ(1738~1815)によって1760年に設立されたジュイの工場では、ジャン=バティスト・ユエをデザイナーに起用して、風景や神話、聖書の物語や伝説などを題材にした更紗を作りました。

トワル・ド・ジュイの物語は、インド更紗の流行から始まります。更紗とは、木綿に捺染(プリント)をしたものです。当時のヨーロッパの人々は、綿を知りませんでした。ウールと麻が一般的で、一部の上流の人が絹を使用していました。「インド更紗」は、東インド会社によって17世紀初頭から大量にヨーロッパ諸国にもたらされました。「インド更紗」の持つ、堅牢な色彩技術や多彩な彩り、軽くてしなやかな風合い、洗濯できる。そしてなにより異国的な模様が、貴族階級をはじめとして町人階級の男女に熱狂的に受け入れられました。人々は「インド更紗」を、アンディアンヌ(Indiennes)やサラート(Saratas)と呼んで愛し、おしゃれな婦人たちはドレスを、紳士たちは部屋着を作ったそうです。


「インド更紗」の熱狂的な人気で、輸入量を大幅に上回る需要があったため、ヨーロッパ各地で「インド更紗」を作る試みがされました。最初は、17世紀中頃にドイツとポルトガルがイミテーションを作りました。けれどもそれらは、安価で質の劣るものでした。1676年に英国人の製版者ウィリアム・シャーウィンが初めて「インド更紗」に遜色のないイギリス更紗を完成させます。1685年にはイギリスに最初の捺染工場ができます。

18世紀の半ばまで、ヨーロッパの捺染業者は、自分で模様を制作する資料も力もありませんでした。なので、初期の「ヨーロッパ更紗」は、エキゾチックな東洋の花や果物をモチーフにした、本物そっくりのコピー作品がほとんどでした。けれども18世紀の中ごろから後半にかけて、ロココ模様の影響を受けた自然主義的傾向の柄が登場します。ヨーロッパ更紗の主題は、エキゾチックな花柄から、西洋本来の花柄へ変わっていきます。シャクヤク、バラ、水仙、ヒヤシンス、チューリップ、リラ、なでしこが登場、またロココの特徴であるリボンや蔓草、縞模様などを用いてインド更紗の総柄でなく、美しい空間を持った構図へと変化します。

ルイ14世時代、インド更紗の熱狂が自国の麻や絹、毛織物の生産者に打撃を与えていたため、1686年から次々と更紗に対する禁止令が発布されました。けれども、密輸が増える一方であまり効果が無かったので、1759年禁止令が廃止されます。その翌年、オーベルカンプによってジュイの更紗工場が設立されます。その後工場は大成功、1783年にはフランス王朝の王立工場の称号を獲得します。

≪工場の仕事》(1783年)には、木版捺染の作業工程が詳細に描かれていて、当時の作業手順を知ることができます。この作品は銅板を用いた捺染法で、今までにないエッチングのような細い線で、写実的に描かれています。エキゾチックなインド更紗からヨーロッパ独自の更紗を誕生させるため、当時の人々は何を参考にしたのでしょう?何をヨーロッパ的だと考えたのでしょう。そんな視点で鑑賞するのも楽しい展覧会です。

≪コクシギル≫ 1795年頃 木版プリント・綿(ジュイ製)

トワル・ド・ジュイ美術館蔵 ©Courtesy Musée de la Toile de Jouy

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≪工場の仕事≫ J.B.ユエによるデザイン 1783年 銅板プリント・綿(ジュイ製)

トワル・ド・ジュイ美術館蔵 ©Courtesy Musée de la Toile de Jouy

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特別展「生誕150年 黒田清輝 - 日本近代絵画の巨匠」 終了しました。

期間:2016年3月23日(水)~ 5月15日(日

 場所:東京国立博物館 平成館

現在、国立博物館平成館(東京・上野)にて、特別展「生誕 150 年 黒田清輝 ―日本近代絵画の 巨匠」〈会期:2016 年 3 月 23 日(水)~5 月 15 日(日)〉を絶賛開催中です。(主催:東京国立博物 館、東京文化財研究所、朝日新聞社、NHK、NHKプロモーション) 本展は、《湖畔》で広く知られ、日本美術の近代化のために尽力した黒田清輝(1866-1924)の生 誕150年を記念した、国立博物館初の大回顧展です。初期から晩年までの代表作を含む、黒田作品約 200件に加え、黒田がフランス留学時代に影響を受けた師ラファエル・コランをはじめモネ、ミレー ら同時期のフランス絵画もあわせ計 240件を一堂に展示しています。

 なかでもミレーの代表作、あの《落穂拾い》《晩鐘》と並ぶオルセー美術館所蔵のミレー三大名画 の一つと言われる《羊飼いの少女》が特別出品されています。《羊飼いの少女》は、ミレーを一気に 国民的画家にまで引き上げ、そして画家としての成功に導いた作品でもあります。黒田のフランス 留学中、1887 年にはパリでミレーの大回顧展が開催され、この絵も出品されました。その年末、黒 田はモデル代にも困窮する中、ミレーの画集を購入しています。農民の生活を描くミレーへの共感 は、《祈禱》などの作品にもあらわれています。 是非、この機会に「近代洋画の父」ともいわれる黒田清輝の代表作の数々と、その原点の一つで あるミレーの傑作をご覧ください。

羊飼いの少女》 

ジャン=フランソワ・ミレー 1863年頃 カンヴァス、油彩 81.0×100.1cm オルセー美術館蔵 ⒸRMN-Grand Palais (musée d'Orsay)/Michel Urtado/ distributed by AMF

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三好和義展 『楽園の跡 軍艦島』終了しました。

期間: 2016年4月15日(金)~ 5月12日(木)
場所: エプソンイメージングギャラリーエプサイト

三好和義(1958‐)は「楽園」をテーマに写真を撮る写真家として著名であり、これまで色鮮やかな作品を数多く発表し続けています。けれども、今回の個展はモノクロプリントです。現像の段階で、軍艦島にはモノクロームの世界がいいのではないかと感じたそうです。カラーで撮影したデータをモノクロにして、表現したい作品作りに挑戦したのです。

40年前、17歳で初めて個展を開いた三好の作品はモノクロでした。それ以来の白と黒の作品の発表です。けれども、当時のアナログ写真から現在のデジタル写真へと、技術は大きく進化しています。プリンターの技術力、用紙の進化、デジタルカメラの表現力も、デジタルならではの緻密性が表現できるようになったのです。黒は深く発色し、細部の再現は比較にならないと言っていいほど緻密になったのです。三好はそこに注目しました。40年ぶりの白と黒の作品ですが、デジタル技術の力を作品に反映させ、新しい写真の原点を示してくれています。

本ギャラリーはエプソン販売が運営しています。フイルムで撮影し、暗室で現像することにこだわる作家もいる中、このギャラリーはインクジェットプリントの作品制作による展覧会を常に開催しています。今回の三好とのコラボレーションで生まれた作品も、プリンターによる新たな作品の誕生なのです。

三好は、白と黒の美しさ滑らかなグラデーションで軍艦島を魅せます。作品は近景も遠景も、植物も建物も海も、捉えられているモチーフすべてにピントがあっているのです。まるで、デューラーの版画やフランドルの画家の作品を観るようです。

写真は、新聞や記念写真など、情報や思い出を記録するものとして私たちの生活の身近にあります。そのため、アート写真は絵画や彫刻と比較して、アートの領域に理解されにくい存在でしょう。デジタル写真で撮影しプリンターで印刷することが一般的になってきた今、アート写真とは何かという疑問の答えの一つを、三好の作品に見たような気がします。

作品のあらゆるところがはっきりと再現されています。これは、何枚もピントを合わせ撮影した画像を組み合わせているのです。そして、作品ごとの空の色(黒の濃度)の違いや光のきらめきの美しさは、画像情報をパソコン上で、まるで絵画を描くように色彩・明度・彩度を細かく選択して作り上げます。シャッターを切ったそのあとの、長いこだわりの時間が作品に魂を宿すのです。本ギャラリーに赴き、作品をじっくり鑑賞し、たくさんの発見をしてください。

作品1

ⓒKazuyoshi Miyoshi

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作品2

ⓒKazuyoshi Miyoshi

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メディチ家の至宝展  開催中!

期間: 2016年4月22日(金)~ 7月5日(火)
場所: 東京都庭園美術館(本館・新館)

メディチ家は、両替商から身を起こし、ルネサンス発祥の地フィレンツェを繁栄に導いた一族で、フィレンツェ専制君主、トスカーナ大公とのぼりつめ、一族からはローマ教皇やフランス王妃をも輩出させました。そのメディチ家に伝わる珠玉のコレクションが来日、東京都庭園美術館で展覧会が開催されます。

見どころの一つは、フィレンツェの黄金時代を築いたロレンツォ・イル・マニフィコなどメディチ家代々の当主たちを魅了した古代や中世のカメオ。ルネサンスといえば、古代ギリシャ・ローマへの憧れからその時代に学ぶことで花開いた文化ですが、この展覧会では、古代の神々や神話をモチーフにしたカメオが多数出品され、当時の人々が強く魅かれた神話の世界をジュエリーを通して観ることが出来ます。

また、歴代メディチ家当主や妃等の肖像画20点と、彼らにまつわるジュエリー約60点が展示されます。ロレンツォ・イル・マニフィコや初代トスカーナ大公コジモ1世、フランス王アンリ2世の妻カテリーナ・デ・メディチ、フランス王アンリ4世の妻マリア・デ・メディチ、そしてメディチ家最後の血族アンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチの肖像に加え、日本初公開となるマリア・デ・メディチの肖像画がやってきます。

マリア・デ・メディチはコジモ1世の長女で、17歳でこの世を去りました。初来日の肖像画はチラシにも採用されていますが、スペイン貴族であった母親エレオノーラ・ディ・トレド譲りの美貌をブロンズィーノ(1503‐1572)が描いています。この展覧会は女性が主役、彼女たちが身に着けていたであろうジュエリーから、当時の文化と技術を知ることもできます。

ジュエリーは絵画や彫刻といった美術品に比較して、現代に伝わる作品は多くありません。それは、持ち主が亡くなると共に埋葬されることもあった持ち主個人とのつながりが強いプライベートな芸術品だからです。

この私的な美術作品を、アール・デコの館として知られる旧朝香邸で鑑賞することで、より親密な芸術鑑賞ができるでしょう。

ジュエリーは小さな彫刻です。この繊細な世界を覗き込むとき、これらを愛した人々の心と私たちの感動が重なり合います。ルネサンス美術の知られざる一面、ジュエリーで観るルネサンス芸術の機会を楽しみましょう。

画像1:古代ローマ工芸(カメオ) イタリアの金工家(フレーム)

《ナクソス島のバッコスとアリアドネ》

3世紀(カメオ) 16世紀(フレーム) オニキス 金 1個の真珠 多色七宝
フィレンツェ  国立考古学博物館蔵
 Firenze, Museo Archeologico Nazionale

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画像2ブロンズィーノ《マリア・ディ・コジモ1世・デ・メディチの肖像》1551年 油彩/板 

フィレンツェ ウフィツィ美術館蔵 A. Quattrone

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